ちょっとだけ心のもやもやが取れた

昨日は久しぶりにマンガ喫茶にいってきた。
5時間くらい粘って、週刊誌と冬目景の「羊のうた」全巻とSUEZENの「DEAD SPACE」、手塚治虫の短編集を読んだ。どれも自分の好みに合ったものだったので結構満腹した。

いまさらながら、手塚治虫氏は偉大だと感じた。新旧のマンガを読んだ訳だが、手塚氏のマンガはテーマの着目点が鋭い。台詞回しや絵柄を抜きにすれば十分現在でも通用するし否、絵だけに頼ったマンガなんかとは比べ物にならないだろう。テンポは今のマンガよりむしろスピーディな感じがする。

もやもやが取れたというのはいいマンガが読めたからというわけではない。
ストーリーが面白ければ絵はそれを伝えるだけの最低限の情報でいいということと、キャラクターについて考え方が緩和できたということが自分の中であったからだ。

手塚氏の絵は冷静にみれば現在のマンガ家(特に若年層向け)に比べれば少々劣るし、旧さは感じられる。が、氏が下書きはあたりだけ、ペン入れは1ページ15分という超ハイスピードで量産しながらあのレベルを保ち続けたという事実から考えるとそれはそれで驚愕なのだが・・・
自らマンガの絵は記号だと言い切ったように見事にパターンの組みあわせで構成されているが引き出しは多い。しかし、読者に必要以上の情報を絵の中に入れていないので、非常に読みやすい。
最近のマンガは過度の描き込みが多くなってきてるような気がする。特に背景。一番読み飛ばすところなのにすごい書き込みがしてあったり、人物も飲み込みそうな感じもしたりして読みづらいマンガも多い。そんな中、氏のマンガは背景はどこにいるのかその最低限の情報だけ描きこんであるだけ。どちらかというと心理描写のための効果のほうが多かったような気がする。

キャラクターについてはここ数ヶ月ほど悩んでいた。自分はキャラを作り上げるのが苦手な方で最近、なんかね、賞のアドバイスとかみるとキャラクタを描け、人間を描けみたいなことが必ず載っている。これにすごい疑問を持っていたんだ。
なぜって、最近のマンガってそれにこだわりすぎてストーリーがこじんまりしてても面白いキャラ出せばOKみたいなところが多すぎるような気がする。なんというかキャラの私小説見たいな感じ。ワイドショー的な見方をすれば他人の生活って面白いかもしれないが、エンターテイメントじゃないような気がする。
もっと大きく出るとハリウッド映画では絶対通らないようなマンガばっかりだ。うんざりする。
キャラを描けってすごいある意味狭めているような気がしてならない。

で、手塚氏のマンガだが、ストーリー先行で作っているような気がする。氏はみんなが知っているようにすばらしいキャラクタをいくつも作り上げているが、どのまんがのキャラもパターン化しており、氏が何人もマンガの中に出てきているような感じがする。いわば氏の分身がマンガの中に何人もいるようなきがしてならない。(そんな気がして昔から氏のマンガはあまり読んでいなかった)つまり、氏のつくりあげたすばらしいキャラクターはストーリーの設定上の中で練り上げられたキャラクタで性格や行動はその中でパターン化されている。更にそのパターンは氏自身のパターンであるという捕らえ方を自分はした。

こう考えることによって気が楽になった。だって、他人を何人もつくりあげて、そのキャラ使ってストーリーを構築していくなんて自分にはできないからね。まあ、設定の面白いキャラが出来上がって、それにストーリーが付いて来るというパターンはありだけど。とにかく自分はストーリー先行で行く!

気が楽になったらストーリーが一本浮かんだ。